ゴールデンウィークに思うこと

考学舎の事業年度は、5月1日が開始日となっています。
つまり、ゴールデンウィークをはさんで年度が切り替わることになります。
「1年間の良かった事も悪かった事もこの休みの間に一旦リセットし、休み明けから心機一転頑張っていこう」という意味でも、ゴールデンウィークがちょうど良い区切りになっています。

ゴールデンウィークには、4つの祝日が含まれています。
先日娘が小学校で、その中のひとつ、5月3日の憲法記念日の意味を教わってきました。
(憲法記念日 = 「日本の国のみんなが守るきまりが使われはじめた日」)
合わせて、11月3日の文化の日が「そのきまりが発表された日」だということも教わってきたようです。

その話の流れで娘から出された「5月4日は何の日でしょう?」という問いに、自分は反射的に「国民の休日!」と答えてしまい不正解(正解はもちろん「みどりの日」)。
みどりの日がつい最近(といってももう5年も前のことですが)4月29日から移ってきたことを説明し、何とか面目を保つことができましたが。

思い返せば自分が幼い頃、祝日には祖父が必ず日の丸を掲げていました。
そしてそれを見て「今日は何の日?」と聞き、その日の意味を教えてもらっていました。
そこで普段の休日とは違う、特別な意味を持った休みであるということを、子供ながらに実感したものでした。

今、祝日に日の丸を掲げる民家を見かけることはほとんどなくなりました。
(これについてはややこしい問題も絡んできますので、ここでは深くは触れません)
祝日に限らず、日本古来の節目節目のイベントが、形骸化・縮小・消滅していく傾向にあります。

例えば元日。
自分が子供の頃はどの店もシャッターを下ろし、えもいわれぬ独特の空気が町中に漂っていました。
それが今ではほとんどの店舗が通常通り営業していて、普段の土日となんら変わらない空気になってしまいました。
それを寂しく思うこともあるけれど、これも時代の流れだから仕方ないことだとも思っていました。

そこに突如起こった3月11日の大震災。
諸外国から日本人の冷静な行動が賞賛されたり、様々な形で援助をいただいたり、はたまた国の対応が非難されたりする中で、図らずも自分が日本人であることを強く意識する機会が増えました。
日本再生の様子を世界中が注目している中で、日本を形成していた様々な要素に今一度目を向ける良い機会でもあると思います。

そして、そんな状況下での先の娘との会話。
カレンダーを眺めて、やれ今年のゴールデンウィークは日の並びが悪いだの何だのと言うだけではなく、それぞれの休みが何を祝うために設けられたのか、その由来に思いをめぐらせることも大切だと感じました。

執筆者: 古木 洋成
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