関東生活18年

先日37歳の誕生日を迎えました。
18歳の春、大学入学に合わせて奈良から上京して参りましたので、気がつけば関東暮らしも19年目に突入したことになります。
地元関西で過ごした年月を超えたというのは、なんとも感慨深いところです。

地方出身者が上京してまずぶつかるのが言葉の壁。
郷に入っては郷に従え。
慣れ親しんだ方言に愛着を持ちつつも、華の都大東京に溶け込むために標準語を使い始めます。
方言を恥ずかしいと思い、少しでも早く標準語に慣れようとする人もいるでしょう。
逆に、方言を捨てることに一番抵抗を感じるのが我々関西人ではないかと思います。

ラジオでは朝から『六甲おろし』(阪神タイガースの応援歌)が流れ、打倒巨人!、東京なんかに負けてたまるか!という風土の中で生まれ育った関西人にとって、標準語を使うというのは東京に魂を売ったも同じ。
だから相当の決意が必要なのです。

関西に帰ってうっかり標準語が出てしまったりしたら、間髪入れずに「うわっ!きしょい!!」と返ってきます。
そして続けて「あーあ、東京に染まってしもたんか!」とだめ出しの言葉が待っています。
実際今でも、自分と同じように奈良から出てきた友人が標準語でしゃべっているのを聴くと、何だかムズムズします。

さてそんな関西スピリッツを胸に秘め、状況してきた18年前。
大学では周りに地方出身者が多かったこともあり、結局4年間ほぼ関西弁で通しました。
しかし社会人になるにあたり、さすがに仕事では標準語を使わなきゃいけないんだろうな、と腹をくくりました。

社会に出ても関西弁で通している人も沢山いるのに、なぜそんな判断をしたのか。

それは「関東に来ても関西弁で押し通す = 環境に合わせられない」みたいなイメージを持たれるのではないだろうか、という懸念があったからです。
世は バブル崩壊 + 第二次ベビーブーム という就職氷河期でしたので、余計なところでポイントを落とすようなことは避けたいということだったんだと思います。
(今思えばちょっと情けない理由ですが)

はじめは脳内で変換してからでないと言葉が出てこず、気を抜くと怪しげなイントネーションになったりして悪戦苦闘。
次第にスムーズに出てくるようになりましたが、「関西弁に戻る」スイッチはいつでも入れられる自信がありました。
いや自信があるも何も、それがなくなったら関西人失格、地元のみんなに合わせる顔がありません。

そんなこんなで関東生活が10年を過ぎた頃の話。
飲み会の席で、バリバリの関西弁で後輩に話しかけられました。
「ああ、こいつ関西出身だったな。懐かしい響きだなぁ」と思いながらも、自分の口から出ていたのはなんと標準語。
しかもそれに気づいたのはしばらく話してからのことでした。

相手が関西弁なのに、自分の関西弁スイッチが入らなかった。
あーあ、自分も都会の絵の具に染まってしまったんだ。
そんな自分に気づいた瞬間のショックときたら・・・。
(これ、わかってくれる人はどの位いるんだろう)

さらに時は流れ、考学舎に入ってもうすぐ丸2年。
舎内ではいつの間にかいじられキャラが定着しつつあります。
そしてそんなポジションをひそかにおいしいと感じている自分。
関西スピリッツはまだまだ健在なようです。

執筆者: 古木 洋成
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